数寄モノ語り その187 久しぶりのいにしえ茶道具ゲット

先日、江戸期の数寄者茶杓を手に入れた

江戸時代 寛延五年 鈴木立庵作 茶杓 共筒

が、茶の湯はしばらくやっていない

しかし、さびや(茶道具商)と呑めば

茶の湯論議はしょっちゅうだし、議論には負けない

往年の経験と小生の道具無尽蔵を根拠に

持論展開がはじまり弁論風発、他の追随を決して許さない。

先だってもその道では造詣が深い友人と談義

いつものとおり茶の湯再開を強く勧めらる

じゃあ、春を目指して軸は光悦の歌、香合は青磁

水差しは備前の矢筈に茶入れは古瀬戸

対する茶碗は、とくればおおらかな井戸かな

対する薄茶取り合わせはとかね

などと、その場ではいろいろと構想を練るのだが・・・

でも、一週間も経てば、ンなことは忘却のかなたに

まったく申し訳なく、慚愧の念に堪えない

理由をつらつら考えるに時間的余裕がないこともあるが

やはり自身の精神、肉体が心底から盛り上がらない

やはりこういうモンは1年前からの準備が必要

客組からそのレベルに合わせた道具組は

とても辛いものがあるが、終わってみれば愉しい

それが茶の湯なのだ

だからこそ600年ものあいだ、連綿と続いているのだ

っと、納得するのだが・・・

ところで冒頭の茶杓

中々の美杓

定型どおりの素直な形で櫂先も尋常

中節、腰、切留も媚びたところがない

また、古色蒼然とした筒からすると

茶杓、筒とも同じ竹を用いてることがわかる

ただ、残念なことに銘が判然としない

まあ、いつかは使わせていただくときがくるかな

そのときまでには判読できることだろうか