行政書士 石山政義こと碧雲山人の時空遊泳

俗塵を払って(10)
山登りは辛くも愉し、にキラリ(4)
日記を書く前に、一言、というのは先日当ブログ愛読者から激励のメールを頂戴いたしました。感謝申し上げます、はい。
で、本日は、山シリーズ第三段といきましょうや。
山行で恐ろしいおもいをするのは大抵、冬から5月連休まで。即ち、一面雪景色でさ、いつ吹雪いてもおかしくない状況のなかで起こるんですが、いまからお話しますところの山行はドッコイ夏なんだから、怖いですよねー。しかも二人・・・・・・
それはね、平成元年の夏でさ、先のブログでもチラっと出てきましたが、北アルプス穂高連峰の盟主槍ヶ岳に行き着くルートにアルピニスト憧れの北鎌尾根縦走ルートがあるんですが、ここでの出来事でした。

パーティーは拙僧を入れて男性五人、女性二人の七人、テントは三つ。今回は、拙僧が山登りを始めた頃、八ヶ岳で遭難しかけたとき以来(この山行の怖いお話はまた後日ということで)の付き合いであったベテラン登山家である山鹿内三(ヤマシカナイゾー)氏がリーダーに就任し、東京新宿駅から23時55分、昔からニーサンゴーゴーッ、て、キャバレー嬢みたいな調子のいいゴロで馴染まれてた白馬方面最終急行電車で俺達もゴー、ゴーって計画したのが事の始まりサ。
当日は23時30分にはアルプスの広場に集まる約束で、拙僧としてもこの日を目指して、汗水垂らして一生賢明働いて一週間まえから準備に余念がなくウッヒヒ。いよいよ今夜だぞ、電車で山の話しながら飲むのはサイコーだなアーって、道具の点検も終わり、自宅で風呂入ってサ、フンフン鼻鳴らして、景気付けにってなもんでビール一本、カーって開けて、ちょっと横になろうかなって、と。グウ―・・・・!

と、けたたましく電話が鳴るんでなんだアーッ?、ヒエーッ、23時35分だアー、ギャー!重たい登山靴の紐もそこそこ、ザック背負ってタクシー捕まえてアルプスの広場にはメンバーはいなく、電車は出てしまったっではないカアー、終わりだあ、っと、ホームの回りを見るとなんと臨時で急行電車があったのだ、あー、神様、仏様ってやつで、0時18分のそれに飛び乗り、早速、車中の車掌を摑まえて、「なにがなんでも先に走ってる電車中の山鹿氏にアナウンスしてくれろ」って襟首摑んで頼みこんだもんサ。ったく、フーッ、とりあえず助かったなー、でも先がおもいやられるゾーさん、ブツブツフブツ・・・グー、ゴー。

と、朝は白々と明けだして電車は信濃大町に滑り込み、ガバッっと窓外を見遣ると、昨夜、車掌に眼と唾とばして頼み込んだ甲斐あって、拙僧より20分早めに着いた輩がホームで待ってくれてるじゃないですか、でも、冷ややかな態度と、不気味なニヤけの渦に迎えられ、案の定、テント一つ背負わされたもんネ。

さて、全員集まったところで一行はタクシーに乗り高瀬ダムで降車、高瀬渓谷を過ぎ、晴嵐荘で昼食。ここから水俣川に入り、川は二つに分かれて我々は半分倒壊している、つる橋を渡り、天上沢に。左上部にはこれから取り掛かる厳しい表情の北鎌尾根が厳然と待ち構えている。
既に一般ルートではないため、トップはルートハンティングの試行錯誤を繰り返す。次第に我々の表情も強張ってきた。沢を右、左と巻いているうちにいよいよこの日の難所、沢渡り。物凄い勢いで流れるこの沢は氷みたく冷たく深さ凡そ60センチ、幅20メートル程。先にトップが渡り、ザイルを二本渡し、木の枝を杖にして、流されそうになりながらもなんとか全員成功。

日も暮れだしテント張りの準備だが沢が氾濫することを考え、もう一時間歩く。テントでは、やはり拙僧のことが肴で一杯、五杯と、散々にやられましたでス、グスン。
翌日は天気は上々、いよいよ北鎌尾根に取っ掛り、が、やはりルートハンティングの繰り返しだが尾根に出てしまえばこっちもんとばかり大胆に、でも確実に高さを詰めて、出ました、北鎌尾根に。右方向前から硫黄岳、赤岳、その背後に西鎌尾根が。左には燕岳を基点とする東鎌尾根、そして大天井岳常念岳が、そして正面、わずか一時寄り方向にこれから目指す槍ヶ岳の雄峰が我々を魅了する。

しかし、次第にガス(山独特の言葉、霧のことだが雲でもいいのかな)が出てきて太陽も見え隠れの繰り返しでちょっといやな感じだが、縦走には影響はない。岩稜の登攀とアップダウンを繰り返し、あと一時間で槍まで半分の距離、そこには、かの加藤文太郎が昭和11年に遭難した場所、独標がある。左方向十一時に捉えたがその手前には手ごわい逆層の岩稜群が我々の行く先を遮っているのだア。そしてここでパーティーの一人である三途之川(サンズノカワ)氏が恐ろしい体験を・・・
この場面ではザイルを横に張り、ハーケンは岩が逆層のため脆くて打ち込めず、トップがザイルを大きな岩に回し、且つ自分の身体に巻いて、後方でも同じくラストが確保体制。全員カラビナを付け、一人、二人、三人と無事登攀したもののパラパラッと70メートル下に岩屑が落ちていき我々の耳に不気味に響く。
さて今度は三途氏の番。ザイルワークをして慎重に岩を三点確保で殆ど水平に移動、カラ、ガラッと赤茶けた逆層の岩が落ちていくなか、確保する岩を正確に選別しながらの移動は疲れる。確保した岩を摑む、あるいは踏む角度によっては抜けてしまうほどだ。もう少しというところで左足を確保していた岩がグラッ、足が宙に浮きボロっと、その瞬間、おもわず彼の手に力が入り左手を確保していた岩もバラバラッと崩れたのだ。拙僧をはじめ、皆、アッ、と叫びともつかない奇声を発し、ヤバイ、彼はバランスを失い、当然、右手も必死に摑もうとするがズルッ、っと1メートルほどずれていくが、しかし右足と右手は残っている。全く動けずに既に彼の右手は血が吹き出ており、唯一身体に巻いているザイルもピーンと張られて余裕がない。
こうなるとあとは恐怖のどん底にいる三途氏の体力と精神力っとばかりにリーダーをはじめ、皆で励まし、左右手足の確保すべき岩と移動方向を指示するが氏は進もうとせずなんと逆に戻ろうとするのだ。もう、前後不覚状態に陥っており、リーダーがザイルで寄ろうとするも二人張れば岩が落ちる危険性があり、矢張り本人の自力脱出しか残されていないのだ。
緊迫したまま10分程経ったろうか、氏は岩にべったりとへばり付いているが限界だっと言いかけたとき、リーダーは残りの一本のザイルを引っさげ、果敢にも逆層岩地帯の背後から、上に登りザイルをもう一本斜めに張りそのザイルで左手を支えように冷静に支持を出した。が、三途氏は一歩も動こうとしない。顔は青白く、手には血がベト付いているようだ。
と、漸く腹を括ったようだ、渡した三本目のザイルをやおら摑むと、一手、一歩とスローモーションの如くゆっくり安全地帯に移動をしていくが身体がガチガチで捗らない。上と水平右から手足を置くポイントを正確に支持しながら、震える身体に鞭打ってやっと安全地に着地、と同時に、どオーッ、と倒れこんだものだ。良かった、彼は、救われたのだ。向こうで、一生懸命謝っていた姿が印象的だったが、顔、手の傷も痛々しくみえた。
安心していられない、まだ二人残っている。ザイルをもう一度張り直し、先と同じ要領で立体的にアドバイスをしながらなんとか登攀することができた。この間、一時間は凄い。既に日は中天から右に移動しており時間の余裕もなく、三途之川氏の手当てをし、休憩もそこそこに移動を開始。三途氏も感慨めいた顔つきをしていたが余裕はなようだが仕方がないのだ。
しかし、それにしても三途之川氏のあの時の行動、危機のときに逆戻りしようとするのは・・・ウーン、猫みたいなヤツだなアー、って冗談でなく本気で考えていたのもつかの間、いよいよ独標が見えてきた。そこには更なる難所があるのだ。その先には槍ヶ岳への最後の登攀がある。
そこに、今度は拙僧が体験する恐ろしいことが待ち受けていたのです。ってこれはつぎのブログで書きましょうかね、へへッ。(いまだから笑ってられるンですけど)
楽しみにしていてくださいヨ。
やっぱり、山は怖いけど愉しいな。
いかがでしたか、今後、当職の聖職である行政書士としてのキラリ日記を挟み乍ら思うが侭につづっていきたいとおもいますので楽しみにしていてください。
石山政義 法務・行政事務所
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新田次郎http://www.city.suwa.nagano.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=327