行政書士 石山政義こと碧雲山人の時空遊泳


俗塵を払って(3)
数寄ものがたりにキラリ(1)
本日は、茶道、でなくて、「道」ってものをはずしといて、「茶」と日本料理の伝統である「懐石料理」を少し語ることによって茶と懐石が如何に密接な関係にあり、そこに茶の本質があるってことの一端でも浮かび挙がらせることができれば幸甚。そして、その世界になんで大の御大尽、かっては太閤こと豊臣秀吉から古田織部伊達政宗、加賀百万石前田家、松江藩の松平不味、江戸時代の実業家であった、鴻池家代々をはじめ呉服の三井、金貸しの平瀬家こと、こうもり大尽、再び時の権力者による茶の復活した象徴であった山縣有朋と彼が小川治平衛に作庭させた無鄰庵井上馨を取り巻き武器輸出業の藤田家、三井の大番頭であった益田孝こと益田鈍翁、そして昭和では電力の鬼の異名があった松永安左右衛門こと松永耳庵と東急の創立者五島慶太、そして名実とも最後の数寄ものであった荏原製作所畠山一清こと畠山即翁に鯛めし屋から懐石料理屋のトップに躍り出た吉兆創立者である湯木貞一等が「数寄もの」として嵌るのかを何回かに分けて語ることができれば今回の日記の目的は達成されるのですが・・・難しいテーマではあります。
その前に、これから展開する本日記でいうところの茶とは室町時代以来、村田珠光武野紹鴎にはじまり、千利休により桃山時代に開花した絢爛豪華な茶と、千利休の精神を学んだ千宗旦に代表される「わびさび」のそれを指し、作法、手法は本日記外ですので、そこのところを御承知おきください。
さて、本来、茶っていうのは、ただ、サッパリした飯食って、美味しいまんじゅう食べて、茶を飲んで(ここでは濃茶、薄茶をいいます)庭があれば庭を愛で、軸が掛かっていればその軸を愛で、陶磁器がでればそれを観賞する。みんな美味かったら素直に。あー、今日は心底楽しくて充実したなア、感謝々と想えばそれでよろしいかと。
難しくもなんともなく、そのへんのスタバでコーヒー、あるいは居酒屋で酒呑んで、フーッ一日終わったなと心底実実感すれば合格。畏まることもなく諂うこともなく本来、自由自在なもの。
皆様のなかには様々な固定観念、想像があるかもしれませんが、本日記ではそれらの観念とイメージを一掃し、茶と懐石の相関関係と人間同志の心の通い合いが如何に大事か、そしてもっと突き詰めて考えれば茶の根本的な考え方の基礎であるところの所謂、禅との関係まで触れなければなりませんが本日記ではあくまで茶と懐石、そして、かっての大尽の軌跡を少しでも触れることができれればと存じます。
それでは、今後、当職の聖職である行政書士としてのキラリ日記を挟み乍ら思うが侭につづっていきたいとおもいますので楽しみにしていてください。

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