数寄者石山政義の時空遊泳その95 27年4月のさくらにおもう

(左は当碧雲山房山内の北側に咲く山ざくら)
久し振りな散文を・・・
早朝、家を出てまだまだ回りはさくらが残ってるんで、ふと当山を振り返ったところ、その中腹に薄い霞に煙った山ざくらが散ることもなく拙僧の眼に飛び込んできたんでおもわずパチリ
おもえば3月は何人かの長者が鬼籍に入り、その見送りに右往左往したことだった
諸行無常とはいえ、拙僧にとっては辛いことにかわりはなく、それでもそれぞれの人生の喜怒哀楽を想い描いてはその場、その時の対応とそのことの結果には納得している筈だろうから決して悩まずに想い残すことなく逝ったのではないか・・・と理解したい
したがって拙僧のこころのなかではこれらの矢継ぎ早やの出来事を静かに受容している
にしても当山房の北側に位置するこのさくら、例年に比べ開花が少し遅かったか・・・・・
おもわず振り向いたのは誰かにふっと肩を叩かれたか、呼び止められたか、あるいは自らの本能のなせたことなのかはわからないが、ほんの一瞬のことだった・・・・・
でも、振り向いてよかった・・・・
薄紫の霞のなか、静寂のなかに咲くこの100年近い山ざくらはきっと黄泉に入っていった方々の魂であっったはずだから・・・・・合掌