数寄モノ語り その190 何事も中庸

 

        「守中」 宙宝宗宇筆 大徳寺第418世

昨日はタイフーンの影響でえらい目にあった

この日最後の打ち合わせは16時

東京は台東区三筋町といえば下町としてはメッカ

ドシャ降りにならんうちに切り上げようと心に決めたもんだ

持ち前の早口言葉と行動の素早さで

「それでは来週早々に手続を実行しませウ」を別れ言葉に

エレベーターに乗り込み「30分で終わったナ」計算どおりだゾ

などとほくそ笑んだモンだ

さて、マンションを出たまではよかった

目の前は薄暗くモーレツな雨と風

道路は雨で沈み、側溝の蓋からは雨水が溢れ出てるではないか

御徒町駅までは徒歩20分、こんな大雨ではタクシー拾えるわけない

ずぶ濡れのなか、ある商店の軒先で、しばし黙考

もう少し社長とお茶飲んでりゃよかったかな

もしか他にも相談ごとがあったかも

伝家の宝刀切り出しはいいけど

少し性急過ぎたかな、などと反省パラパラ

そこで閃いた論語の一説

孔子の弟子十哲の一人である子路

彼は実に奔放で気さくで決断も早いが

どうかすると周りに対する配慮が欠け

言動も歯に衣を着せずズバリというところがある

そこで孔子は云ったものだ

「中庸を知れば、即ち徳を得る事なり」と

本日掲載の宙宝の軸はまさにそのことを語っているとおもう

豪雨の降りしきるなか、まことに反省しきりのひとときであった