前回に引き続き、拙僧と数寄者たちの遠寺晩鐘堂における茶の湯の続きをば。

於拙僧宅 御成山山頂茶室延べ段を望むその先に蹲 右には四畳半本勝手の茶室を擁する雲壌亭が・・・にしても晩秋は枯れ葉が多く忙しい拙僧にとっては掃く時間がなく不本意なのだ・・・・
懐石も無事乗り越え、懐石から濃茶への重要な橋渡し役であるところの饅頭も季節に見合ったものを事前に「凡太良」に三種類試作していただき拙僧、苔寺専務、そして平泉三石とで神妙に試食した結果、「乱菊」に。前回のブログにも書いたが決して侮ってはいけない。この饅頭と薄茶に御出しする干菓子の選定は懐石料理に勝り、本日の道具と引けをとらない位、重要なことなのだ。早朝から苔寺山水専務が御自宅から出掛けに凡太良に立ち寄ってくれ、大事そうに持参してくれた一品。この御仁は結構繊細で、花の生け方もセンスがいいし古美術商とはこうあってほしいものだといつも感心しきり。
さて、水屋では濃茶の準備、前席の三畳台目に掛けた鎌倉時代の墨蹟、鎌倉は円覚寺第二十二世であった東邦通川をつくづく鑑賞、七言律詩調に禅の要諦を鋭い筆跡で揮毫、墨痕も鮮やかだ。一礼し慎重に仕舞い込み、かわって小林古径箱書の渋い古信楽蹲掛花入を床壁中心、床框から約1メートル10センチほどに穿たれた無双釘に飾り、なかには西王母椿と微妙に彩づいた照り葉を活け、水を打つ。
そして炉中炭の具合、釜湯の相を見て点前座前40センチ向う中心に先程まで水屋で水に侵しておいた桃山時代の爛熟期に誕生した古備前矢筈水差しを据え置き、その中心から5センチ前には古色蒼然たる仕服に隠された鶉斑も複雑な美しさを醸しだす古瀬戸茶入を置き合わせる、いわば直線と直線を結ぶ数学的側面も持つ茶の湯の性質はすっきりして張りがある。が、この寸法割等は紹鴎、千利休の時代、既に発案されいたか否かは分からない。
茶人、特に点前といふもののその動作は曲線が中心になるが、道具の置き合せ、寸法の取り方等は殆どが直線、対角線、三角線を利用する、という事実は面白い。
さて、床、点前座、客座等を軽く座掃き、これで準備完了。一呼吸して、約束通り三畳台目躙口に近づき銅鑼を撞き5センチほど躙口を開け、誘い口とする。待合では鐘を合図に正客以下全員が両膝低くして拙僧の銅鑼の響きを全身で受容し、意を決したように正客から蹲に向かい身を清め、順次、躙口から席入りを果たす。
水屋ではそれらの動きを推し量りながら間合いを静かに計る。畳みを座しながら移動する絹ずれの音が独特の音をさせ乍ら三畳から水屋に響き渡り、それは初入り時とは違い、舞台の最高潮への期待と幽かな緊張感をお互いに想像させるには十分な自然演出だ。
やがて、席はしんと静まりかえるのを合図に閉めている茶道口前に鎮座して、しばし黙想。恐らく客人も本日の茶事へのそれぞれの想いと、過ぎてきた一年の移ろいを振り返り、これから始まろうとしている本日のクライマックスに現世の俗塵を払うことを願い、全てを滅却し、既に全身全霊で感情移入を図ろうとしているのだろう。彼らも黙想。五客一亭、一つのおもい、一蓮托生とはこのことだ。
さて、拙僧はだ。一呼吸し、襖を右、左、右と開けると薄暗い正面にはたっぷりと水を含んだ格好いい備前矢筈水差と茶入がどしっと正しく鎮座する。点前座右には絶妙な曲がりを呈す赤松の古色然とした点前柱、その下に鎌倉英信寺の室町古材を利用した梨本家伝来の味のある炉縁。しんしんと松風の音が三畳台目に響きわたらせてる霰釜は遠山環付で素朴な越前芦屋。
熊川茶碗に茶巾、茶筅、そして茶杓を添え、正面に置き合わせ、引き続き真新しい柄杓、木地建水、平泉氏の御実家の竹で作製していただいたばかりの瑞々しい青竹蓋置を持ち出し踵を返して茶道口を閉めて改めて点前座に着座。
さあ、本日の最大にして最後のヤマ場だ、序破急を念頭に、定法とおり、膝を炉縁内隅狙いに、順に茶碗、茶入れを取り寄せ、毎度の情けないほど拙い手つきで、しかし心は乾坤一擲で袱紗を捌き、ゆるりと茶入れ、そして茶杓を清めていく。釜蓋を開け、湯煙が舞っていくのを視線で確認し乍ら、これまた真新しい柄杓により茶碗に湯を点じ茶筅通し、茶巾で清め、茶入れより青々とした茶を茶杓より掬い一杯、二杯と回し出しはせず十五杯掬いだしをする。見込みの深い熊川茶碗に抹茶が重ねられていくその様は大海の蓬莱山の隆起を想起させるなあ、っと想うのは余裕をもっているということか。
再び柄杓を持ち、今度は釜底よりの湯を取り出し、茶碗口辺高さから約4〜3ンチ空より茶碗中央に点じていく。濃茶の重厚感のある豊かな香りが漂ってくる。茶を点て、もう一度湯を点じ、おもむろに客座に向かい小袱紗を取り出し、両置きする。点てられた濃茶は席中が薄暗いせいもあり、やや青黒いが独特の光沢を放つ。濃茶を点て始めてからこの間、約6分。無念無想で点てることの難しさをあたまの中をグルグル駆け巡るのはいつものことだが・・・・・・フー。
五人の数寄者がいっせいに、この熊川茶碗一点に全身全霊をかけて感情移入を図るべく凝視している。
間髪入れずに少しせっかちな正客である酒盛鋭吼氏がズイっと膝を寄せて宝物を抱擁するよう大事に茶碗を取り込み、次客との間に置き全員で黙礼、正客は白茶地宝尽紋銀襴の小袱紗を手に広げ茶碗をのせ、一口、二口とゆっくりと引いていく。鋭吼氏は感極まったか・・・・・・瞬間、目を閉じて瞑想にふけっていたがゆるりと次客の財持有閑に名残惜しそうに手渡し、そして三客有難屋無頼庵氏、四客、詰めへと順次移り、瞑想のうちに濃茶を引いていく。正客の茶碗拝見の申し入れを合図に茶碗は一度水屋に戻され、綺麗に清められ再び正客の前に置かれる。
この間、言葉は一言もない、ただ、「うーん」、「ふー」っと、宙を見つめながらため息ともうなりともつかない音がでるのみだ。
さて、清められた茶碗を正客は正面に置き直し、両手を付いて一礼、手を付いたまま深々とした見込みをしみじみと覗き、やがて茶碗を抱きかかえるように両肘をつきながら持ち、外側、反して高台を、また反しては見込みを、という具合に丹念に鑑賞していく。物凄い集中力だな、と舌を巻いたものだ・・・はいいのだが、なかなか次客に渡してくれない、さきほどから三客の有難屋氏がチラチラと茶碗に見遣るところからしても次客以下はそろそろ焦れているようにみえる・・・。
彼は、それを察してか茶碗を正面に置き直して再び全体を見直し、やっと開放。そして鋭吼氏が沈黙を破り、こう言ってきたものだ「点前、頗る神妙にして感銘至極でありました。で、茶銘は?摘めは?先刻の乱菊饅頭も品良く甘さも控えめで美味しく、う〜ん、ありがとうございます」と、堰を切ったように続けて「茶碗は御亭主、こりゃ熊川茶碗ですね、しかも真熊川茶碗。肌も井戸茶碗色に近く柔らか、雨漏りも品良く出ていて桂林の山水の如く幻想的だし、全体の姿も抑揚がある。ん!いいですなあ〜」間を置いて「御亭主、何処で見つけたんですか、高台のなかもたまらないくいいいよね」フフっ、よくわかってるなあ、この御仁は。つくづく感心するし、出てくる言葉が的を得てるからこちらとしても頗る嬉しいものだ。
熊川茶碗は次客の財持氏は感極まったか一言もなし、そして有難屋へと移っていき、正客に呼応するように「はあ、この高台の縮緬と、兜巾(ときん)がたまらんです。それと五百年近い伝世の味というものの重厚さには頭が下がりますね」と、茶碗をなでながら高台をじっくりと見入っている。確かに熊川茶碗の特徴の一つは高台の縮緬皺(ちりめんじわ)と所謂、兜巾(ときん)だ。すごい見識ではある。
四客は押さえどころを速攻ながらちゃんと学んでおり、当たり障りのない誠に要を得た言葉がでてきたものだし、詰めに到ってはニコニコ顔で眼鏡外したり掛けたり、最後には腰を低くして身体を右に左に曲げ、ウー、ン〜と言って茶碗に見入ってる姿をみていると、ものの鑑賞方法ってのは人様々だなあ、っと変に感心したものだ。
さて、茶碗は再び正客に戻され水屋口からニューっとでてきた苔寺専務の手によって引かれ、代わって茶入れ、茶杓が真塗りの盆にのせられ正客に。正客は茶入れを神妙に拝見、納得したように次客へ、引き続き茶杓の拝見をしていく。そして正客曰く「美杓だね、節上の景色が絶妙だ、よほどいい竹を選別しているなあ、たぶんこの作者は・・・・・」っと、これ以上は言わないのが約束。で、次客へと移っていくのだが、皆、首をグルグル回すだけで黙っている、また次の客もグルグル。そう、茶杓ほど判定が難しい道具はない。それもその筈、一片の竹ベラ、名前も書いてなければ何処産の竹かも分からないとくれば誰が作ったかは分かりはしないのだ。が、しかし、茶杓というのは見聞を繰り返し学習していくと、ある程度は7割方判別できると断言するのは拙僧の体験。本ブログでその方法等を言ってると、きりがないのでそのうちにということにしておきますが・・・。
五客である詰めまで拝見が終わり、茶入れ、仕覆、茶杓は正客の酒盛氏に戻しながら苔寺専務がニタリと笑って口を開いたものだ「さあて、酒盛先生は光悦会、大師会をはじめ、茶事等で場数を踏んでらっしゃるからおわかりでしょうね、ヘヘッ」とプレッシャーをかける。
茶入れは古瀬戸。肩付、首がやや低いが口の反しは力強く黒々とした古瀬戸特有の地釉に鶉斑が見え隠れする。これは見やすく判別も困難ではないし第一に土味、そして室町古瀬戸か桃山時代以降の所謂、瀬戸かというところの区分け方をキチっと理解しているか否かのはなし、問題は茶杓なのだ。
酒盛氏は腕を組んで口を真一文字にしてジッと茶杓を凝視していたが決断したようにこう言い放った「これだけの美杓、切りとめの刀の入れ方、かいさきの曲げかた等の特徴からすると、おそらくは・・・・」と一呼吸おいて「遠州流の祖、即ち遠州、と踏みましたが如何」。オーッ、流石、長年、数多ある茶の湯行事をこなした方ではの鑑定で、拙僧もおもわず膝を敲いてこう言ったものだ「鋭吼先生、一発で当てましたね、畏れ入谷の鬼子なんとかっていう言葉通り、御見通しでしたね」と言うと、他の数寄者からもヤンヤ々と愉しく喝采する。
やがて濃茶が終わる頃、三畳台目の二つの表窓に掛けられていた簾は捲り上げられ陰陽でいえば陽だ。茶室はパッと明るくなり和やかなうちに本日の最終章である薄茶へと移っていったのであった。客人方々はなにかから目覚めたように今日の寄付きから懐石、そして濃茶、更には拙僧の亭主振りをあれやこれやと気持ちよく喋り合っている。そんな光景をみていると、そろそろ終焉を迎える本日の茶事が主客一体となって無事に終わることができたことの安堵感と達成感に浸りはじめた拙僧であった。よかったよかった。
如何でしたか、茶の湯は亭主七割の楽しみ、と昔から言いますが、確かに苦労も楽しみも全部一人で背負うわけですから苦労は九分ってとこですかね、でも結局やってることは本ブログ冒頭にも記しましたが、腹ごしらえして、酒ちょっとやって、デザートに饅頭食べ、嗜好に舌鼓打って、そしていい気分で茶を飲みながら日本内外の文化を眼福させてもらってシャンシャンなんですよ。
この基本的なことを叩き込んでおけば道具にしてもそんなにこだわることもないということです。では次回も数寄ものの茶の湯実践録をお楽しみください
最後に拙い句を一首
      「往く年の鐘はあまねくひとの世にいろ冴え冴えとひびきわたりぬ」
いかがでしたか、今後、当職の聖職ある行政書士としてのキラリ日記を挟み乍ら、茶の湯、山行、居合、陶芸、古美術、歴史等に関して思うが侭につづっていきたいとおもいますので楽しみにしていてください。
石山政義 法務・行政事務所
所長 石山政義 
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茶室(http://www13.ocn.ne.jp/~chakou/sub1.html
笠間日動美術館http://www.nichido-garo.co.jp/museum/exhibition_archive_0705.html
茶の湯 遠州流http://www.enshuryu.com/enshuryu.htm
茶の湯 裏千家http://www.urasenke.or.jp/index2.html
茶の湯 表千家http://www.omotesenke.jp/
根津美術館http://www.nezu-muse.or.jp/
鎌倉円覚寺http://www.engakuji.or.jp/index.shtml