数寄モノ語り その189 大徳寺435世 大綱宗彦の書

今年の観桜機会を失したのは仕事も繁忙であったが

足首を痛めてしまったのが大きかった

四六時中のてんこ盛り書類背負いと

長いあいだの山登りが影響してるかな・・・

ところで、この一行書のハナシ

「一人在日下 」大徳寺435世 大綱宗彦 筆

独断と偏見で解釈してみることに・・・

ひとは誰でも平等に日月のもとで自由で開かれてる世界がある

それは裏を返せば、ひとは日月のもとから逸脱することはできないのだ

喜怒哀楽、欲とあきらめの世界に一喜一憂して一生を終えるのだ

しかし、厳しい修行を重ねて

日月星辰喜怒哀楽の世界を超越したならば

世人、すなわち俗人には入ることのできない世界を知る

それは白も黒もない、真っ新な真心

すなわち、「色即是空、空即是色」を知れたるか

それが悟りというもの

それが解るか、喝!

と説いてると。

あくまで私の長年人生を振り返った解釈でアリマス

まがりなりにも茶の湯を嗜んでる身としては

この一行の持つ意味は大きい

坊主臭いとおっしゃることなかれ

いつかどこかで必ずや、ぶつかることになるのです

しかし大徳寺系の書は伝統的に太字が多かった

織豊時代の細字から江戸初期の清巌、江月、天祐等は

豪放で太字で実直な書が多かった

しかし、名筆家の宙宝宗宇を過ぎた頃か

幕末、明治以降は細字ながらも芯のあるキリリとした書に変遷していく

大綱宗彦もその流れでしょうか

でも、歯切れよく清楚で素直な書風と

なんといってもこの一言五文字の宇宙が私を誘ったのだった