今年の観桜機会を失したのは仕事も繁忙であったが
足首を痛めてしまったのが大きかった
四六時中のてんこ盛り書類背負いと
長いあいだの山登りが影響してるかな・・・
ところで、この一行書のハナシ
独断と偏見で解釈してみることに・・・
ひとは誰でも平等に日月のもとで自由で開かれてる世界がある
それは裏を返せば、ひとは日月のもとから逸脱することはできないのだ
喜怒哀楽、欲とあきらめの世界に一喜一憂して一生を終えるのだ
しかし、厳しい修行を重ねて
日月星辰喜怒哀楽の世界を超越したならば
世人、すなわち俗人には入ることのできない世界を知る
それは白も黒もない、真っ新な真心
すなわち、「色即是空、空即是色」を知れたるか
それが悟りというもの
それが解るか、喝!
と説いてると。
あくまで私の長年人生を振り返った解釈でアリマス
まがりなりにも茶の湯を嗜んでる身としては
この一行の持つ意味は大きい
坊主臭いとおっしゃることなかれ
いつかどこかで必ずや、ぶつかることになるのです
しかし大徳寺系の書は伝統的に太字が多かった
織豊時代の細字から江戸初期の清巌、江月、天祐等は
豪放で太字で実直な書が多かった
しかし、名筆家の宙宝宗宇を過ぎた頃か
幕末、明治以降は細字ながらも芯のあるキリリとした書に変遷していく
大綱宗彦もその流れでしょうか
でも、歯切れよく清楚で素直な書風と
なんといってもこの一言五文字の宇宙が私を誘ったのだった