行政書士 石山政義こと碧雲山人の時空遊泳

俗塵を払って(12)
山登りは辛くも愉し、にキラリ(5)
 恐怖の山シリーズ第5弾ですかね。
本日は、夏山間近でもあり七月後半の山行での事件を取り上げてみましょうかネ。
その前に一杯呑ませて下さい。

於鎌倉 向付、木の葉古染付に甘海老 対する酒盃は古唐津、見込みの釉溜まりが見所 酒は確か〆張鶴。たまらなく美味い。思わず舌鼓!


実はこの体験は先の恐怖の山シリーズブログ(3・4)北鎌尾根縦走のリーダーであった○氏との出会いでもあったのですが、彼と遭遇していなければ拙僧の山行歴はもっと違っていたでしょう。
さて、事件は長野県の裾野も広い八ヶ岳連峰の北、南のうち、南八ヶ岳での事でした。
当時、拙僧は、毎週の如く山、山、山でその年は、七月までに、谷川岳秩父連山、大菩薩、東京で一番高い雲取山をはじめ、南アルプス鳳凰三山仙丈岳、白根三山と、周りの迷惑を顧みず徹底してやった罰が当たったのでしょうか。この年、初めて八ヶ岳をやって、いきなり南八ヶ岳の登攀ルートに迷い込んで怖いことになったってヤツ。
その日は仕事も早々に切り上げ、よーし夜行一泊二日だゾー、って、いそいそと家近くの肉屋で特上ロースハム150グラム、八百屋で甘夏二つと大蒜を一塊買って菓子屋で行動食適当に買い込んで家でさ、ロースと大蒜は炒めてパックしてその他はまとめて衣類共々荷物にパッキング。
外は結構雨降ってるが、当時は槍が降ろうが嵐が吹こうが全然関係ないもんネ。逆に闘争心っていうか自然との闘いってことで燃えちゃうんだから凄い、計画すれば有言断行でダアー!
で、例によって風呂にザンブリ入って一杯やってサ、ルンルン気分よろしく金曜日の夜行で一人乗ったわけさ。
茅野には3時半には着き、駅構内でシュラフに入って寝込んだものさ。周りにも同じ輩が散見できて、みんな山がすきなんだなー、ヘヘッ、ってなぜか安心してスヤリスヤスヤ。
仮眠もそこそこ5時半過ぎの始発バスで一路、美農戸口終点まで、またコックリコックリ。昨夜の雨は上がり、上々。バスを降りて歩くこと2時間45分、南八ヶ岳を一望できる赤岳鉱泉にて一服。左から硫黄岳、横岳、手前に大同心、小同心、右に地蔵尾根、そして右先端に八ヶ岳連峰の最高峰2899メートルの赤岳を望むことができ、さらに右からグルリと回り込んで中岳、そして阿弥陀岳が迫っており、なかなか迫力があるゾー、っと吼えたもんサネ。
さて、昨夜作ったロースハム炒めと大蒜炒め、握り飯一個をパックリやって昼食もほどほどにパッキングをやり直し、地図を広げて硫黄ルートを確認、左から右へ縦走すべく硫黄に向けて歩き始めたもんさ。過ぎること30分、小さな渡しがあり、その先が左右に微妙に分かれていたので当然、硫黄岳に近い右へ舵を切ったのが運の尽きだったのだ。

南八ヶ岳ジョーゴ沢手前、大同心登攀ルート入り口から遠望する大同心。人間のお化けみたいなのだが・・・
細くなっているものの清流の流れにつられ高さの低い森林のなかを確実に詰めているのだが次第にルートが狭くなるし、踏み跡も少し減ってきた感じで不思議に思いながらも眼前に南八ヶ岳連峰の稜線が見えてるのだから、このルートは間違いないと確信し、さらに進むこと40分、岩稜が多くなり傾斜も等高線入りの地図よりも狭くなってきたし、いつのまにか、登山客が人っ子一人いないのにはさすが不安になってきたものだ。
それでも稜線は近くなってくるし森林限界も地図通りだからいい筈なんだがなあー、でも岩稜登攀部分があるって説明ではなかったがなアー、と曖昧乍らも三点確保で岩を登ることさらに30分、どんどん急峻になり、さながらロッククライミングだ。とてもじゃないが拙僧のいまの技術では限界だな、こんなルートが一般である筈がないのだ、やっぱり迷ったな!なんでだ、もう引き返すことが出来ないかも知れないぞ、どーしよーか、と焦りながら右の小ピークを越えた瞬間、なんと目の前に忽然と、どでかい岩の塊の連続が現れたのだ。高さ80メートル強、幅70メートルの岩稜地帯が二本、そして谷を挟んで右にも一本、ヤバイ、こりゃ登攀ルート、しかも、噂の大同心と小同心だアー!
岩肌は赤岳に近いだけあって赤黒く不気味だ!昨夜の雨で一段と黒々して、妖怪みたいな岩が重なり合い、その岩間からは小滝が流れ落ちており飢えた恐竜の涎みたいだ。
ヒエー、いま登ってきたのは大同心登攀ルートだぞー、何でだアー、バカなやつめ、なんとか引き返そう、って踵を返そうとしたら稜線上の横岳と大同心の間から黒い影が二つこちらに向かってくるではないか。しかもザイルを二本背負ってメットを被っているぞ。こちらに気付いたのか、何か話しをして再びこちらに向かってくる。拙僧も立ち止まって、数秒、彼ら二人を見ていたが時間がないこととてとにもかくにも降りようとしたところで、「オーイ、そこの若いの、大同心登攀はこっちだぞ、そっちは一般ルートにいっちまうぞ」、やっぱりそーかア・・・、「えー、すいません、なんかルートを間違えまして・・・」、と気弱に応えたもんさ。「なんだアー?なんで間違えるんだい、標識があったろーがー、大同心登攀すんなら連れてくぞー、ほらア―」。ヒエーッ、怖い人たちだなー、あまり関わらないほうが良いと思い「いえ、結構です。登攀技術ないですから、ただザックが重くてこの岩くだりをどー降りたらいいのかちょっと迷ってるだけですから」。って言ったら、ピョンピョンと岩から降りてきて、ズイっと拙僧の目の前で「なんだって、若いの、迷ったんかい、しょうーがねーなアー、たいした玉だぞ、なー、オイ、ヒャ、ヒャアー」だって、なんか黒天狗みたいな人間だなー。そしてチラッと拙僧のザックを見て「ったくよ、一杯詰め込んで一体何が入ってんのか知らねーが、そんじゃー、バランス崩して、ガラガラッと下へ落っこちまうゾ、俺らは大同心をピストンしてこれから下るとこサ、ほれ、俺に貸してみな、背負ってやっから、ほれっ、よこしてみな!」。腰にはカラビナ、Sカン、それにハーケンがぶら下がり独特の鈍い金属音をさせ、顔は浅黒いがよく見ると眼光は鋭く、かなりの山行経験と高い登攀技術を持ってることは自信たっぷりな態度で容易にわかる。
さて、どーしよーかなアー、追剥ぎだったらどーしよー、って考えても仕方がない、ここは、エーイ、ままヨ、持ち前の図々しさも手伝って、素直に「申し訳ありません、この戻りは言われるとおり登攀技術を要するかなと思います。でも、よろしいんですかアー、確かにザックがヤバイんですが・・・。では御願いしますウ」、とザックを手渡したものだ。「よッと、重てーなアー、あんたのはア、何泊すんのか知らねーがヨ、よっぽどイイもんがハイってんじゃねーのかアー、ジョニ黒とか、なんか高いブランデーとかヨー、ヘヘッ、っと。まアー、良かったな、俺達と遭遇してヨッ、あんた、ここで落っこちるか、誰かくるのを待つしなかったかも知んねーよ、ほんとにサッ、ハハ」。っと言って、ザイル一本を連れに渡し、拙僧のザックを背負って山師か軽業師みたいにパッ、パッ、と岩から岩へとスルスルっと蜘蛛みたく下りていくもんだから、拙僧は驚異と羨望の眼差しで観察したもんだ。
拙僧は、というと空身だから、身軽になったんで、定石どおり登りと同じ態勢で、先行する彼のルート通りに従っていき、上ではもう一人の方が拙僧を見守りながら降りてくるといったふうで、なんかVIPみたいだな、っと感じるあたりは少し余裕も感じたものだった。
にしても、うーん、確かにそうだ、こんなところまでがむしゃらに登ってきて、下をみたら傾斜もきつく登りよりも下りのほうがヤバイし、上に行くにはザイルと登攀技術が必須だ。やっぱりよかったなー、この二人に出会ってまた救われたアー、山登りの人々は素朴だし懐が深いなー、っと感心した次第。
そして、このリーダー格の一人と出遭ったことが拙僧の山行と人脈に大きな影響をあたえたのであった。しかも、これ以降4年間の年末年始は八ヶ岳で過ごしたっていうからその入れ込みようったらありゃしないってわけサ。
にしてもやっぱり、山は怖いけど愉しいな。
いかがでしたか、今後、当職の聖職である行政書士としてのキラリ日記を挟み乍ら思うが侭につづっていきたいとおもいますので楽しみにしていてください。
石山政義 法務・行政事務所
所長 石山政義 
Te l03-3317-3388 fax 03-3317-1419
Emil: ima@oak.dti.ne.jp
URL http://www.ishiyama-office.com
日本認証サービス(http://www.jcsinc.co.jp/
公証人さん(http://www.koshonin.gr.jp/
法務省ホームページ(http://shinsei.moj.go.jp/
山水河原者(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%AD%E5%B8%AB
茶室(http://www13.ocn.ne.jp/~chakou/sub1.html
笠間日動美術館http://www.nichido-garo.co.jp/museum/exhibition_archive_0705.html
新田次郎http://www.city.suwa.nagano.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=327