行政書士石山政義による法務にキラリ その30

行政書士による外国人就労ビザにキラリ。
年度変わりの5、6月は忙しくてブログ更新が出来ず申し訳ありませんでした。で、御詫びといってはなんですが今回は少し長めですんでソコんとこ宜しく。

於鎌倉 向うに山ボウシ、手前に赤い花をつけた紅葉。紅白が緑に小気味いい

本日は、外国人の就労ビザ取得に関して述べますが、本件は特殊な例ですので参考になるかどうかは読者の現在置かれている環境によるかもしれません。
ではいきます。東亜細亜のある国では政府系の海外企業育成研修協会というのがあって、大学を卒業し、この協会に参加することにより海外の企業に二年間勤務体験できる制度があり、この制度を利用し乍ら期限切れの前に正式な就労ビザを取得しようという「漢無量(カンムリョウ)」氏のお話をいたしたいと存じます。
当職の開設しているホームページを拝見したということで電話がかかってきて上記の制度を利用して在留しているが勤務会社である「斜陽危機株式会社」に見切りを付けたい、一度相談したいということ、腰の軽い何処でも出張してしまう小生、早速、千葉の佐倉に。
駅で待ち合わせ、会社に御伺いすると、成る程、見切りを付けたいという言葉が理解できる雰囲気のコンピュータラック設置と部品輸出入の会社であります。社長は留守らしく彼の他の社員はアルバイトが2人でメインは漢無量氏ということ。
漢さんは日本語も堪能、英語も話せるので母国語も含め三ヶ国語に精通しているのは今後の展開には強い材料だし、コンピューターにも詳しく、しかも母国での大学の専攻は機械工学ときたから当職の感で「これはいける」と踏み込んだものだ。
本人の希望は政府系企業育成協会発行のビザがあと2ヶ月で切れるのでそれまでに正式な就労ビザに切り替えたい、とりあえず、時間もないことだし、この会社に勤務ってことでできないかという相談でしたが、なんせ、社長の了解あっての物だねなんで、その場で漢無量氏と会社側で取り揃えてもらう必要な書類を御願いし、次の時には社長の出席を願い、帰路につきましたが社長が了解するだろうか、また、会社決算書等がまともに出るか多少不安をかかえながら・・・・・。
さて、事務所に戻り、再確認のため、メールにて本人、会社の必要書類の確認とついでにおせっかいとは思いながらも社長を動かす手法を伝授しておきました。
5日間程してから漢さんから連絡が入り、おおかた、揃ったし、社長と会ってくれろということなので翌日、再度佐倉駅に出向き、社長に御会いしましたところが、案の定、非協力的。しかも、業績もおもわしくなく、たたむかもって言い出したもんだ。漢氏には在留残日数少なくこれから彼の経験に見合った他の会社を探すには時間もないし、困ったなと考え乍らもなんとかしなくてはいけない。
この場を打開しなければならず社長が席を外したときに漢氏にこうアドバイスをした。
「漢さん、貴方はここに来て二年目だし、会社のことが社長に次いでわかっているはず
でしょ。会社は既に6期目に入ってるものの浮き沈みがあり良いときは5億円、現在で2億程で赤字ときたもんだから社長としては暗くなるのも理解できるが、業務内容としてはPC部品と付属品、輸入商品はドイツ製、精密でセンスもいいようです。日本国内と東南アアジアに販売している実績等からしてもそんなに悲観することもないのでは。詳しい事業内容はわかりませんがここはひとつ、社長を説得してみてください」。「はあー。」「それと、貴方の将来がかかっているし、帰国して母国で悶々として骨を埋めるか、折角、大学で専門分野を専攻し、親戚もいるというこの日本で培ってきた力を目一杯開花し、稼いで計画的な人生設計を出来るか、っていう瀬戸際なんですぜ。ここは社長をなんとか説得して、会社を続けさせてください。そしてこの斜陽危機株式会社を次へのステップにするという賢い方法もあるんですよ」。
少し色白な青年は眉間に暫く繭をよせて黙っていましたが不安そうに「もし、社長を説得でき、今回の書類が揃えば私の就労ビザは許可できますか?そして先生が言っていたようにもっと安定した会社に行けるのですか」っときたもんだから「許認可には、絶対はありませんが、当職の経験上9割大丈夫でしょう。貴方の高い学歴と経験、そして正しい見識を持っていれば十分日本でやっていけるし、よしんば他の会社に転職してもいけるとおもいます。そのときも言ってくだされば当職がまた引き受けますから安心してください」。
ずっと一点を見詰めていた彼は、思い切ったように当職の目を真正面に見据え「わかりました、やってみます。今日は無理ですが一日が二日、時間を下さい。あの社長の弱点を知ってますから・・・・」と。「えッ?」なんだろーか、にしてもいい根性してるな、とおもったものだ。
「よく判断してくれました、貴方の考え、特性、知識等には日本人が持ち合わせてないものを持っていますし経験も豊富ですから理由書作成には十分な材料がありますし、会社側上申書作成にしても過去に貿易実績があり貴方のいままでのその経験を会社の為に活かせるでしょうから具体的で説得力ある内容にすることは可能です、あとは社長さえ立ち直らせれば舞台設定は出来上がりですよ。いい返事を待ってますからね」。「ハイ、必ず電話かメールしますから」っということで再び会社を後にしたのであった。
そして二日後、電話がかかってきて明るい声で「社長は了解してくれました。「漢君が頑張りたいのならやってみたらいい、在留資格変更による就労ビザ取得に必要なものは揃えましょう」ってことです」と。良かったな、一人の人間がこれで救われるかもしれない、彼のためになんとか在留資格を取得してあげなければならない。と、ちょっと緊張しながら「良かったですねー、さすが漢さんだ、理由書と上申書はいま少しヒアリングして当職で作成しますから安心して下さい。それと資料が全部揃ったら三回目の打合せを東京駅構内「銀の鈴」で会いましょう。そのときにパスポートを預かりますから御願いしますよー」って応えて電話を切った。にしても斜陽危機社長の弱点ってなんだろー、切り札に使ったのかなー。無事、認可出来たら一発聞いてみよう、っと。
さて、とは言っても問題がないわけではないのだ、って、政府系の海外企業育成協会ってものは曲者だなあー、まあ、当たって砕けろだ。早速、東京入国管理局へ問い合わせして、1その制度の日本国としての対応とその有効性の再確認、2そして有効だとして本人在日のままで在留資格への変更の可否(当職としては絶対自身があったが)。3それと問題はその企業育成協会制度取り入れている彼の国側の在日X大使館との交渉、すなわち、国策により海外派遣研修許可を得ていながらその制度利用から外れて、本人の在日目的の変更を認めるかということだ。
1はその制度で日本側がビザ発給して来日許可しておりOK、2在日中で、在留有効期限があり且つ、急を要する場合はOK、だが漢氏の国側、X大使館の了解が必要ということなのだ。ウーン、頭がいたいゾー、これは3とおおいに絡んでくることなのだ。
そこで、X大使館に連絡、日本語が話せるY事務官にでてもらい事情を説明、そして本人の希望とそれを実現させるために是非貴大使館の協力が不可欠、しかも早急だということも力説し、漢氏と一度、コンタクトを取って貰う約束を取り付けて、電話を切ったものだ。
間髪をいれず、漢無量氏に連絡、「漢さん、折り返し、X大使館のY事務官に連絡してください、貴方のことを伝えてありますから自身の状況と志望を御願いしてください。理解ある事務官にぶつかりましたから誠意をもって喋ってくださいよ」、「先生、大丈夫ですかね、「そのために日本に派遣させてんじゃないゾ」、って言われたら怖いですが・・・・」、「大丈夫ですよ、一頃前ならいざ知らずちゃんとした民主主義国ですからそんなことはありません。それに当職が代行しているし、東京入国管理局からも連絡してもらってます。大袈裟かもしれませんが、いわば公の案件ですから安心してくださいね」、「わかりました、電話します」。
ほどなく、漢氏から電話、「先生、母国語で話しまして、在留変更が本人の意思であれば派遣を解除できますということで、本国にコンタクトを取りOKをとれる筈ですが、逆に日本国が貴方の在留資格変更を認めてくれるか否かはわかりませんがって言われたんですが・・・・、だッ、大丈夫ですか」、ってきたもんだから、すかさず「ほぼ、大丈夫です、兎に角、早く提出しましょう、そのためにも先日御願いした、大学卒業証明、英検合格証等と、そして日本にいる縁戚関係のデータ、会社の資料を揃えてください」。「ハイ、あと少しで揃いますから」。
ホッ、これでたぶん決まりだな、一先ず安心、お墨付きを貰ったも同然だ。少なくとも今の在留資格の有効性と本国での派遣解除と日本でのビザ切り替えの可能性に関してはだ。
あとは、当職が作成する書類と裏付資料の正確性と理由書、上申書の中味だな。
さて三日後、銀の鈴にて漢氏と会社の資料を全部預かり、在留資格変更申請書、再入国許可申請書、印紙貼用紙のそれぞれに漢無量氏のサインを貰い、パスポートを預かり、そして最後に、こう言ったもんだ「書類としてはOKです、貴方のノウハウ、そして熱意と希望を正確に理由書と上申書に矛盾なく反映するようにしますから心配しないでください。よしんば申請が拒否されても貴方に原因があるわけではないと考えます。その時には出国準備期間として一ヶ月の猶予が与えられるでしょうから再就職先を探せば宜しいですヨ。でも、たぶん本件は認可されます」。「ええ、私も自信がでてきました、先日、広島にいる従兄弟と話する機会があったのです、嬉しかったです、日本が第二の故郷です、先生宜しく御願いしますネ」ときたもんだから思わず「ハイッ、頑張ります」って言ってしまい照れたもんサ。
事務所に戻り書類の点検と上申書、理由書の最終校正をし、翌日、東京入国管理局に朝の8時10分に到着、毎度のこと乍ら既に30人ほどの様々な国の方が並んでる。8時50分には玄関が開き、みんな、いっせいに二階に皆駆け上がっていき自動受付票の前に並ぶ。
(いまでは行政書士は事前に予約ができるが)程なく呼ばれて書類をカウンターに出して簡単に書類内容を説明し、事前電話ででの審査官である流石(サスガ)さんとのやりとり、そしてX大使館との交渉の結果を説明し、待つ程、20分、呼ばれて再びカウンターにいくと何事もなく漢無量氏のパスポートに就労申請審査の印が押され戻ってきた。ウン、当職の仕事はここでひとまず終了ってことだ。
でも、ここからが結構長いんだ、2週間後漢氏から電話があったが「落ち着いて待ってください、いまは仕事をやってください」っていうのが精一杯だ。追加資料の請求通知もなく待つこと3週間。きました、待望の認可通知!やったアー、すかさず彼の携帯に電話、電話口での彼の喜びようは言うまでもない。良かった、よかった、彼の一生が決まった瞬間であった。そう、これで母国を慈しみつつも帰国せず、在留ビザを更新しつつ、着々と生活力と経済力を蓄え、そして2年後には日本人に帰化するというレールに正しく乗れたのだ。そして漢無量氏の目標は在留資格を投資・経営に変更し、貿易会社を立上げグローバルなビジネスをすることなのだ。彼ならそれが出来るだろうな。よかったよかった。
如何でした、就労ビザ取得を前回よりも具体的に述べましたが国によっては様々なワーキングビザ(一時的就労)を発給しています。また入国管理局というところは受託案件で途中行き詰まると入管との交渉次第によってはいろんな玉手箱を出してくれるからなんか不思議な世界ですねエー、だから面白いんですが・・・。
当事務所におきましては、日本中にある許認可申請と事実証明書類作成、また公証人さんの御役目と消費者との歯車的存在である、街の法律家である行政書士が如何に関わっていくかを、他の日記を挟み乍ら、述べていきたいと存じますので御期待ください。
石山政義 法務・行政事務所
所長 石山政義 
Te l03-3317-3388 fax 03-3317-1419
Emil: ima@oak.dti.ne.jp
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