数寄者石山政義の時空遊泳 その83 南八ヶ岳行

早朝の南八ヶ岳の稜線 横岳、大同心、小同心の鋭い岩稜に東から光線が放たれ、そのシルエットが神々しい
今夏山行、蓋を開けてみれば一泊二日の八ヶ岳行でした
さて、毎度茅野駅降りで美濃戸口からの6時間トロタラで赤岳鉱泉小屋着
ここで思案六法、赤岳は10数回、岩稜意外のルート殆どやってるンで今更の正攻法はつまらン
やっぱ横着コイの直接硫黄岳、オーレン小屋4時着きで一ッ風呂浴び後の馬肉ステーキで一杯も魅力があるしなア
でもあそこのスキヤキのタレは拙僧にはかなりショッパイ感、豪勢そうでパクついて調子こくと喉カラカラの後悔必須
となると、赤岳直下の行者小屋までノンビリ歩いて小屋前で一杯やりながら夕陽に輝く赤岳から硫黄岳へと続く縦走路に久し振りな想いを馳せるのも一考
よし、ってことで此度は東南に向けて一路行者小屋へと向かったものだった
にしてもこの南八が岳、小規模な山崩れがしょっちゅうだ。蒼い樹林帯の其処此処から薄ピンク色の岩肌が剥き出しでまことに痛々しい
全く以って自然の美しさと惨さは常に紙一重だな、ってことだ
恐ろしくもあるが、しかし当然の摂理ってことかな
でと、行者小屋には25分で到着し、早速部屋とってふと考えた、そーいえばこの小屋で泊まった記憶がないのではないか、と
早速売店でアルコール買い込んで小屋草履ズルズルのビールグビグビ、行者小屋まえのテラスに座り割り込んで稜線を眺めてしばし黙考
周りは矢鱈とテントが多く行者小屋の人気度が窺い知れる
あっ、そうか通り過ぎた赤岳鉱泉もここの社長が経営してる筈だった
確か当時はヤセ黒だった社長、よく「若(わか」って言われていたなア、
もう30年前のはなしだ、アイゼンだのザイルだのと矢鱈詰め込むのが好きな拙僧、40キロの重たいザック背負って毎年のように年末年始を過ごしたものサ
あの頃は高名なアルピニストが随分入山してた。長谷川恒夫、山田登等々と枚挙に暇がなかった
晦日にもなるとプロもアマも一同が食堂に集まって午前0時を合図に木炭でもってお互いの顔を塗り合うのが慣わしだったが今でもやってるのかな
などといろンなことが走馬灯のように表滅してるうちに小屋からの飯の合図
14、5人の泊まり客前に板長の「お待たせ〜」って合図で出てきたここの飯のおかずには少し驚いたって、メインディッシュが鶏肉の煮込みに野菜添え、それに味噌汁でなくってウィンナと野菜のスープときたもんだからサ
偶さか隣に居合わせたラッキョウみたいな髪型した小奇麗なおねえちゃンも「へ〜え、山小屋にしては珍しいわー、カレーとかア、缶詰サバの煮付けとかア、おもってたア〜」などと小声を漏らし乍らビール片手にパクついていたなア
東京辺りから来たんだろーか、でもなんとなく喋りの語尾の軽い上がりに聞き覚えが・・・・ひょっとして茨城弁・・・・・・
その向うの食卓テーブルでは70過ぎ位の小柄なオッサンが7、8人の中年オバサン目の前になにやら講義を垂れている
スープズーズーしながらそっと聞き耳を立ててるとどうもインストラクターってヤツらしい
ザイルワークがどーの岩登りの基本はこーだとかを身振り手振りやっているが信用なしの金貸しの宣伝に出てくるハゲ頭のおっさんみたいでなんとなく怪しげな感じ
暗い奥のほうでは若い男女が早々に食事を終らせ、キャッキャ言いながらなにを始めるかとおもえばトランプだとサ、そりゃないだろー、アンちゃん達、っとおもったろころで他人さまのこと
にしても見回してみれば老若男女の皆さん、それぞれの人生、価値観と環境のもと、解りきって此処に来ていることだろうし、考えがあってのことなんだろー
ここは一つ寛大に見守らせていただくことに
さて、いい加減、観察にも疲れ、1缶600円ビール2本も呑んじゃったことだし仕上に日本酒買って呑み直しだナ、ってことで部屋に戻ることに
部屋前の廊下のストーブに一人陣取ってカップ酒をパカっと開けてグビリ
プッハア〜、安酒にしては旨いゼ!
さ〜てと、明日はやはり横、硫黄岳ルートは止めにして地蔵尾根から八ヶ岳詰め、文三郎尾根を降ってこようかな、などと気楽に考えることができるのも大自然を前にしては、ついつい自分にも寛大になってしまう
そーいえば、食堂にいたラッキョねえちゃん、明日は何処にいくんだろーか、およそ山屋には見えんし素性も知らんがウ〜ン、なんだか危なっかしいゼ
同じルートいくよーだったらここはひとつ指導してあげようかなア・・・・・
おっと、さっきのオッサンではないが今度はこちらが妖しくなってきたぞオ〜、まあ、これも大自然のなかでの流れに任すことにしようっと・・・・・
などと考えながら酒を片手に拙僧が想いは明日の、そして向かう9月、10月のささやかな山行へと遊泳していくのであった