数寄モノ語り その175 2022年を新たに迎えて

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「神光照天地」大徳寺418世 宙宝宗宇筆 
花 蝋梅 寒椿 花器 古信楽

令和4年1月1日

謹んで新年のご挨拶を申し上げます

皆様の御健康と御多幸を心よりお祈りいたします

ところで、写真の一行書

禅語録のひとつである碧巌録に

「泥仏不渡水 神光照天地」という一説があります

全体的な意味合いとしては

達磨師匠の弟子になりたかった慧可

しかし、誰一人として寄せ付けない師匠

慧可は、厳しい修行を続けますがその門は閉ざされたまま

考えあぐねた結果

彼は、ついに自らの肉体である肩を断ち、それを献上するのです

それを知った達磨は感嘆能わず

慧可を唯一の弟子として入門を許したという内容です

それを受けてのこの禅語

禅語前段の泥仏・・・は、

なにも努力もしないでことにあたるべからず

慧可のように死に物狂いで努力するものには

いつまでも光輝き、尽きることはない

といったところでしょうか

そのときの場面を室町時代水墨画家であった雪舟慧可断肩図」(禅機図)

がリアルに描いてます

さて、私なりの現代的簡潔解釈を試みてみます

勿論、世の批判を恐れなしとはしませんが・・・

どのようなことでもひとつの目的を達成する為に

自らの全知全能を尽くす者

そしてその対象はヒト、モノのどちらでもよいのです

また、それが報われる、あるいは称えられる、ということでもない

そして、このことを行ったという事実は生ある限り

いや、たとえ黄泉の世界へと旅立ったとしても

何人も、これを否定するものではなく

主観、客観的に関わらず、その事実は語り継がれる

っといったところでしょうか

これ以上いってしまうと、哲学の世界に入ってしまいそうです

さて、今年一年、様々なことが発生しては消化されていくことでしょう

臨機応変、一生懸命に生きたいとおもいます