碧雲山房は雲襄庵主 石山政義の時空遊泳 鎌倉の四季4

正月茶事その3

於拙宅碧雲山房 削りも荒々しい鎌倉彫朱塗半月盆に取り合わせたる向付けと酒盃 前者は白地に染付が効いている木の葉型古染皿 5時間〆たヒラメの昆布〆を厚さ3ミリから4ミリ程で五枚盛ってみた この器のゆったりとした大きさは次にくる焼き物、強肴料理をも余裕をもって取り込むことができる そして本日の相対する酒盃は琵琶色に近い唐津盃 中小の貫入(カンニュウ)を成立させる鋭角で数多の直線が神秘的で美しく、独特の世界を醸しだす 透明感漂う酒を注ぐと酒盃のなかで小宇宙が拡がっていく・・・・
拙僧の聖職が繁忙期の真っ最中ってことで、少しく手付かずでしたが、前回、前々回に続き正月茶事の三回目、最終章ということで。
ここの老舗古美術商の茶の湯としての慣わしとしてはいきなり濃茶が呈されるが、郷に入っては郷に従うのも臨機応変の茶人の嗜みなのだ。姿の良い深々とした高麗茶碗によって絶妙に点てられた、香りと質も豊穣な濃茶は毎年のことながら誠意が篭っており真に主客一体となる瞬間。
続いて懐石が振舞われ舌鼓を打ち乍ら、酒、そう、冷やの〆張鶴にぬる燗では黒龍ってところは酒好きなら定番のご馳走だ。向付の平目の昆布〆は、肉の厚薄さも頃合、したがってその〆具合がちょうどいい。そう、この切り具合と厚薄さによって〆る時間も然ることながら懐石ではその量と盛り方にも恐ろしいほどのセンスが求められる。
亭主の燗鍋から注がれる酒はしこたま美味く、五臓六腑にひたひたと染み渡る。横の酒天壮女たるや、のんべえということを裏付けるが如く亭主の注ぐ酒を矢継ぎ早にグビッ、ゴクっと呑み乾す姿は傍らで拝見していても惚れぼれしてしまう。こうなると拙僧としても注ぎたくなるのもなぜか人情?享けた酒盃をスッスーっと素早く、しかし華麗に呑み尽くす。こりゃ、大変だア〜っと確信したのは拙僧だけではない、当然に御預け徳利は酒天壮女と拙僧の真ん中に放置されるのもむしろ当然か。
さて、かの数寄者、酒盛鋭峰氏も負けじと酒盃の取替えを次客、三客と交換しながらそれらの鑑賞と舌舐めずりを繰り返し、呑むことに余念がないにもかかわらず気配りにも隙がないのはいつも感心する。すなわち、次客以下との出会いと茶事の思い出、そして必ず持ち上げることを忘れないのだ、オっと、回ってきました拙僧に。
赤ら顔して曰く「石山御仁、このあいだの茶事以来、何処かでは、また素晴らしい茶事をやられたのですか」拙僧はあわてて首を横に振り「いや、歌の文句じゃありませんが、あれから三年、でなくって四年経ちましたが時間がなく、やっていませんが、拙僧も数寄者の端くれ故、すいません近々、拙僧が碧雲山房内茶室で山頂だの下界だのと立体的な茶事でもと考えてはいるのですが・・・」
すると鋭峰氏はニヤリと笑って「ほお〜、では、その碧雲山房では、茶室が二つ存在するってことですか、にもかかわらず未だに席開きの茶事はしていないのですな、けしからん、いや、それはそれは楽しみなこと、御仁のこととて稀代の茶事になること必定です、いやあ、にしても遠寺晩鐘亭での茶事は奥深かったア、そう、備前矢筈水差に茶碗は極わびの極致では大筆頭に挙げられる柿の蔕だったア、いや、物凄い取合せもさることながら若い御仁が、ってことがもっと凄い」などと述回を含めた賑やかな問答が交わされたものだ。
やがて、茶道口が開けられ、御亭主が御膳を型通りに取下げていき、そのまま薄茶が始まる。主茶碗は高麗のなかでも、粋で、味わい深い本手だ。軽やかな薄茶には少しく重たく、むしろ濃茶に適任ではと野暮なことは言うまい、ここにも御亭主の意気込みが。
続いて次茶碗、三碗目が披露され、名品ばかりで溜息が出る・・・しかし入手できないという諦め?を克服したか正客をはじめ庵内からはヤンヤの喝采。そして薄茶道具の拝見、そう、なんといっても茶の湯の指揮棒である茶杓の鑑賞と判別だ。一端の茶人、数寄者なら一番の楽しみであるであろうし、又、当然に見識を持っていなければ茶人とは言えない。
したがって茶事主催者である御亭主は当然、正しく厳しい鑑識眼を求めると同時に場の盛り上がりを期待するだろう。特に正客と後詰めの役目としては、このことをビシッと肝に命じておかなくてはならないから、勧められるままにハイハイっ、てなことで座ってしまったぶんにゃ冷や汗タラタラということになりますから御注意を。
でと、問題の茶杓の判別に戻って、正客の酒盛鋭峰氏だ、曰く「いい茶杓ですな、少し節部分が曲がっていますが・・、ここは石山氏に判定を、ささッ、石山大尽、如何ですありましょうや」っと拙僧に振ってくるではないか、亭主をはじめ、皆、拙僧に瞠目する。まっ、いいかってことでこう答えたもんだ「はあ、畏れ多いのですが、では一つ観させてもらいます」続いて自身なさそうな声で「え〜、腰はやや蟻腰、切り止めの三刀削り、櫂先の溜めの尋常さと先のやや左への肩下がり、そして全体としての茶杓の華奢さを総合すると、武将でなし、遠州系、石州系でもないかと・・・おそらくは江戸期における千家あたり、さらに踏み込ませていただきますならば宗旦四天王の一人ではないでしょうか・・・・」と独り言のようにボソボソ分析してみた。この間、誰も介入してこないし、唯一、鋭峰氏が石州ではなかりしかと鋭く切り込んできたが、それには応えず、さらに只管、茶杓に見入ること2分。
拙僧のボソボソ判定を聞き入っていた御亭主は、ニタアーっと笑みを浮かべて茶杓等を点前座に戻し、改めてこういったものだ「千家系統の数寄者でして、当時の数寄者としてまた博学者としても名高い、そして宗旦側の論客でもある茶人、和漢国史の削った茶杓であります」っと、あー、よかった、ここは後詰の面目躍如ってところだ。
さて、三時間に及んだ正月茶事も和気藹々のうちにいよいよクライマックスを迎え、酒盛鋭峰氏は寄付きに戻るとこう言ってきた「石山氏、氏の鎌倉は碧雲山房内での茶事、必ず々実行してください、春、秋、はたまた冬?いずれにしましても御待ちしておりますぞ」と詰め寄ってきたので、その言いに拙僧は「必ず々、実現いたす所存、鋭峰大明神には筆頭にて御手紙を御送付しますからよろしくお願いします。ただ何れの季節に席披きをいたすかは、ちと御勘弁を」と答弁したものだ。
そして拝見にだされた道具、箱書を観照し、のどから手が出るのを抑えつつ、しかし値段を、怖いもの見たさのなんとかってことで、畏る々聞いて、やっぱりかとか、あ〜あ、聞くんでなかったと訳の分からないことをいい乍ら最後には嘆息して帰っていったのであった。
にしても茶の湯というものは、観て、触って、呑んで、食べて、そして感嘆し、慈しみ、そして文化に、歴史に人々に感謝するという、人間に与えられた全ての感と能力を当然に働かせることができるし、またそうでなければ茶の湯ではないということを、このような適った茶事に招かれるとつくづく想う。そのあとは至福の極みで、豊かな感覚がいつまでも残り、心も和んでくるのだ。
いかがでしたか、今後、当職の聖職である行政書士としてのキラリ日記を挟み乍ら山行、居合、古美術、庭、そして茶の湯等々と思うが侭につづっていきたいとおもいますので楽しみにしていてください。

石山政義 法務・行政事務所

所長 石山政義 

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