碧雲山房は雲襄庵主 石山政義の時空遊泳 数寄者の茶の湯と鎌倉の四季10

碧雲山房は雲襄庵主 石山政義の時空遊泳 茶の湯と鎌倉の四季10
雲襄亭主 石山政義の茶の湯と居合いにキラリ その3

於当碧雲山房内 4月6日撮影 鎌倉は山下飯店にて紹興酒2合呑み、適当に酔っ払って撮ったものの、まだ7分咲きというところか あちこちで咲いてるのに当山房の枝垂れ桜は、チト御機嫌斜めだなア
茶の湯も懐石も居合も全て数寄な世界、いくところ一つ、ってことで続けてきましたこの連載ブログの3回目は最終章とし、さくらの咲き散るが如くパッといきたいとおもうのですが、さて如何なりましょうや。
さて、鎌倉碧水舎道場での蓬莱師匠による含蓄に富んだ、値千金の講義と実地研修も充実のうちに、いよいよ正午の茶事に突入。
で、拙僧は身も心も茶人に切替ながら山頂に上りつめ、おそらく雲襄亭では助っ人二人が目まぐるしく蠢いていることだろうと、気もハラハラ水屋をガラリ!
ウッゲゲッ、なんと水屋は荷物と道具の洪水だ、そのなかで作務衣姿の律儀氏は勝手口側にあったコタツだの、毛布だの本だのを全部、勝手口裏に堪っている落ち葉の上に放り出し、本棚を利用して道具仮置場でブスッと座っており、舌鼓女史とくればジーンズ姿で道具だらけの狭い台所で泣き出しそうな雰囲気でなにやらゴソゴスと温めているのを見て拙僧は愕然としたものだ。
こりゃマズイ、この雰囲気を脱却すべく拙僧は本日の労いを言わんとするや、律儀氏が先を制して口火を切った「御亭主、事前準備が不足しているのでは・・・それとなんといっても狭い、臨機応変は茶人のモットー、とはいえ、ここまでくると・・・それと掃除が恐ろしく大変でした、この四畳半の畳は何回雑巾掛けしても汚れていますよオ・・・・・この爪の汚れ、すごいでしょ」目薬製薬会社の宣伝に出してもおかしくない彼の涼しいパッチリ目が拙僧の細い目に食い込んでくる。う〜ん、これは効く、点され過ぎて目が痛いなア、とタジタジしてるところへ、今度は頭のよい、なんでも素早くされる舌鼓女史がこう畳み掛けてくる「すいません、台所が狭すぎて料理は別にしても隅切御膳を五つも置く場所がなく、料理したものを仮置きする隙間もなく・・・いくら私でも整理がつかず、しかも客は御亭主の御話では客方が上がってくるのが30分ばかり早いのでは、これでは煮物が完備しませんし、強肴もまかりなりませんが・・・・」
ウギャ〜、まいったなあ、それでも、拙僧は負けじと持ってきた平目の昆布〆のさくを女史に手渡しながら「すいません、これ、平目です、へへ、まきさんのかなりの自信作と言っておりましたので・・・これで一つなんとか、てのは冗談ですが、できるだけ時間稼ぎしますので頑張ってもらえますか、律儀さんも、もう、やりたいようにやってください」と、ここはなんとか折れてもらうしかあるまい。
そして「後日、銀座立原でも日本橋八つ花でも寿司屋でもどこでも美味しいところ招待しますから。またこういう最悪の環境のもとだからこそ本領発揮できるのだ、と前向き志向で、なんとか勉強のつもりで・・・すんませんねエ〜」と、口八丁、手八丁で漸く、鞘に収めていただいたものだ。
そう、居合いの極意のひとつ「鞘の内」を地でいったものだ。うーん、なるほど、こういう鎬(しのぎ)の場でも居合いの精神が生きている?のだと、先刻までの神聖な講義の効果だ、とか、わけがわからん感心と納得をしてるうちに、数寄者達五人組が辺りの景色にオー、とか、へエーとか歓喜な声をあげながら亭主側のヤバイ葛藤はどこ吹く風で山を上がってくるではないか。
え〜い、ままよ、ってなことで、拙僧は素早く釜を掛け、床の間の軸と香合を確認、雲襄亭横の鐘楼の鐘を相変わらずせっかちに撞き、席入りを促したものだ。
絶景を堪能していた客人等は鐘を合図に茶室南側靴脱石から濡れ縁を伝って手懸り障子を開け暫時席入り。
水屋に引っ込んで聞き耳を立てて着席を確認した拙僧は茶道口から水屋のゴタゴタの欠片も出さず、ニューっと爽やかに顔を出し、こういったものだ「いや、今日は、蓬莱先生の居合の本質等に関する御神教、ありがとうございました、御昼どきにもなったこと由、少しばかりではありますが勝手を見繕って一献差し上げたく存じますのでごゆるりと御過ごしくだされば幸い」と、サラリ一言。
茶人どうしの型通りの会話とは違い、気さくで簡単な挨拶を終え、満を持してた律儀氏が茶道口から御膳を差し出す。やや小さめの真塗膳の中心に黄瀬戸四方向付(魯山人作)、手前左に利休箸を掛け、その真ん中に朱盃(七代宗哲作)をかぶせ置きしたものだ。
正月に雲襄亭の床の間に御供えした久保田千寿を開封し、鉄味もよろしい燗鍋(初代寒稚)に、たっぷりと忍び込ませて正客から注ぎまわり終わったところで、拙僧は「どうぞ召し上がってください、いやあ、お疲れさまでした、箸を御取りください」ってことで五人は一斉に箸をとり、昼の懐石の火ぶたは切っておとされたのであった。
しばし、茶室のこと、外景色のことを話し込み10分ほどして、水屋に戻ると、ここは戦争の真っ只中だ。特に舌鼓女史は台所の右隅で足は置き場がないなかで、時には八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)の如く大胆且つ強靭に、ときには千手観音の如く優しく、その手と身体は次から次へと御椀、強肴鉢、煮物鍋、レンジへと縦横微塵に伸びていく。かたや律儀氏はあくまで冷静実直、素早い判断、動きにも無駄がなく、まさに十二神将の如く頼もしく、まさに御二人には後光が射したものだ。ありがたや、ありがたや!
この二人をバックに拙僧も千人力、茶の湯亭主とはなんたるかを熟知している身として粉骨砕身、全力で発揮せねばなるまいぞ〜、よし、ってなもんで長盆に出来上がった煮物をのせ、再び表舞台に乗り込んだのであった。
席中は酒もはいって和やかに、居合いの話、古美術、茶の湯の話等で花盛り。煮物を各人の膳、右手前に置きながら袴をズリズリ、居合いの研修も手伝って膝がビシビシ痛いもののここは我慢のしどころ。
煮物が全員に回り、落ち着いたところで正客が少し赤ら顔で「御亭主、御苦労さんですなア、聞いてよろしいかア〜、この向付けは平目ですか?うんまいでんナ〜、こんなん、食べたことあらへん、〆具合、わてにはいいでエ〜」
続けて「それと床に掛かってるのん、桜に舟と船頭、向う岸の茶屋には綺麗どころが艶かしいし、風情ありますなア〜、それとここに飾ってある雅邦の画帳の武者絵、リアルやなあ、おそらく鎌倉時代を想定しとるんやなアー、こんなん、うちの外人弟子が見たら泣いて喜ぶでエ〜、」
流石、ピシャっと鑑賞の要所を押さえた言いではある。続けて古美術にかけては一家言持っている三客のヤジロベイ士曰く「この、四方向付、中身も美味しく、私にとっても〆具合が丁度いいねえ、にしてもこの器、いいじゃん、もしか、魯山人?この黄瀬戸と卵の斑釉がたまらんぞオ〜」来たな、フフッ、ニタっと笑って、間髪いれず拙僧は言った「よくお分かりで、おっしゃるとおり北大路魯山人です、魯山人が星が岡茶寮を追い出される前の作品でしょうか、おそらくは荒川豊三等が職人として鎌倉は山崎の窯場で活躍していたころのものかと推察しますがね。使いやすく大きさと深さが絶妙で料理まで作る魯山人の本領発揮ってところすね」っと持論を展開。
続いて正客、蓬莱先生と奥方が顔を見合わせて二人で納得するように「この、煮物、やわらかでおいしなア〜、ウン、これ貝柱でんな、菜の花添えて色具合結構やなア〜、この出汁も品があってな、ズズッ、フウー」っと、嬉しいこといってくれるでア〜、水屋の舌鼓女史が聞いたら、してやったり、って、嬉しがるだろうなあ。
ここで、水屋で律儀氏の配慮によって拙僧にも膳が出され、断りをいれて席中にて相伴ということに。
南宋均窯の口辺の立上りも厳しい青磁色に近い平皿に盛られた平目は器との色バランスもよく決して引けを取らず、観照に価するし、実に美味しく、身の締まり具合と〆具合も申し分ない。
が、煮物の蓋を開けて一口、うわ〜ッ、ぬるい。やっちゃったあ、貝柱のしんじょは確かにやわらかく、味は薄いものの、添えた菜の花等が彩りと薄味をカバーしてくれてるが、なんといっても出汁がぬるくては、他が良くてもすべてオジャン!
席中を見回せば客人たちは知ってか知らでか美味しそうに食しており、拙僧としては内心ホッとたが、にしも・・・水屋の準備不足がこんなところに出てくるとはなア〜、全て拙僧の不徳といたすところ、と自責の念にひしひしと駆られ、気落ちした拙僧であったが、出してしまったものはどーにもならないのだ、っと割り切って蓬莱師匠から注がれた一献をキュっと飲み干して次の反省材料とすることで気分一掃。そう、いつまでもグジグジュ考えないのも拙僧の特徴ではあるのだ。
注しつ注されつ、だいぶ酒が入ってきたところで、本懐石では焼き物は略し、今度は李朝三島模様も鮮明な大鉢と美濃は織部焼に影響を受けたかと推測される唐津沓鉢に盛られた時節に合わせた強肴を二品、そして、飯はズワイ蟹を主に生姜と蕨の炊き飯を笹に包み、木地八寸に盛ってみたが、これが受けた。
飯の温かさも丁度よく、拙僧も相伴したが、うん、旨い、美味いぞ。席中の御仁達も笹飯を左手にのせ、ホクハフと満足げに箸を動かしているのを見ているうちに舌鼓女史のしたり顔がまたしても浮かんできたものだ。
さて、席中は少しく暖かくなり四客が気を利かし、障子を全開すれば北、東、南と120度から陽光に満ちた山の新緑と歴史の街、鎌倉が対山とともに茶室に飛び込んでくる。ハア〜、しばし席中は沈黙、至福のひとときを御満喫しておられる様子に、亭主、水屋共、よかったな、報われたたなとか感慨に浸っている暇は実はない、って、後座の薄茶の準備に取り掛からねばならないのだ。本日の茶の湯の場合は御座が濃茶でなく薄茶であるによって、前座の懐石も大事。したがって両座の関係は均等であらねばならない。
愉しい時間は矢の如く過ぎていく。日は中天から西三時方向へ移動しており、和気藹々のうちではあるが拙僧としては次の展開への準備ということで、饅頭五つ膝前に置いて、こう挨拶をしたものだ「いやあ、本日はお疲れさまでした、蓬莱師匠の席中での数々の質問に対する御回答、また過去におけます凄ましい体験談の数々等、正に名言至極、是非、定期的に御願いできればと、これからも宜しくお願いします、っということで、このあと、薄茶ではありますが準備させていただきますんで、これにあります季節の饅頭を召し上がって、待合のほうで御一服してください」と、性分に似合わずゆっくりと喋ったものだ。
そして素早く各々の懐石膳を下げ、少し間をおいて、桜餅を呉洲赤絵平皿に盛り、パクリと食していただいたところで待合いへと促した拙僧は、御座の薄茶への準備に取り掛かっていったのであった。
しかし、ゆるりと執り行われていた茶事は、このあと思わぬ展開になっていく・・・それは我ら鎌倉の三匹の侍のひとり、そう、イマイク士によって放たれたのであった。
つづく


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