碧雲山人の時空遊泳 石山政義の新春にキラリ5

母屋、碧水舎道場の飾り附けが完了し、さて、いよいよ最後の仕上げである山頂、雲襄庵の正月飾りだ。

永いあいだの風化により味わいのある石段に・・・200年は経てるのだろうか  冬の木漏れ日がいちだんと鎌倉らしさを醸し出す
しかし、数えたことはないのだが、おそらくは150段以上はあろうかと思われる長い石段を約8分から10分、ゆっくり登っていくのだ。見上げてみればその先には散ったばかりの色とりどりの落ち葉が見事というくらいに柔らかく、ふっくらと降り積もっている。ウーン、こういう自然現象に居合わせると毎年のことだが落ち葉のなかにゴソゴソ入っていって横たわりたいなと衝動的でなくって真面目に思ってしまうのは自然帰化に対する人間の本能かもしれなあ、などとわけのわからないことを想い乍らも、去っていく景色をしっかりと受容したところで一歩また一歩、ザクサク、シャラサラと、リズム感ある小気味のいい音色を愉しみ乍ら、苔生した石段を詰めていく。

師走の鎌倉の町並み 対岸には鎌倉独特の低く柔らかい山々がくっきりとみえ、いつもとかわらぬおだやかな光景だ
路は直線からはじまり、やがて右へ鋭角に曲がりそして左へ右へと蛇行が二回程続くき、登りきったところでいかにも侘びて倒れそうな兜門をくぐり抜けると20メートルの延べ段が続く。さらに最後の8段の階段を登りきると碧雲山房頂上に着く。ゼエー、山行で鍛えているとはいふものの、やはり息切れがする。
眼前には雲襄庵がひっそりと建っている。着いたぞ、やっぱりここの景色は絶品だなあ、などとゆっくりしている暇はないのだ。早速、雲襄庵茶室を開け、まずは露地と蹲の掃除だ。が、これまた落ち葉がバッサリ。時間がニャオー、ってことで、とりあえず延べ壇を掃き、手水鉢を綺麗にして、水を満たさせてもらって、ここは一件落着、ということに。っと僅か5分、待合を拭いている間に早速、小鳥が水を呑みにやってきた。
さて、茶室内。12月中旬に開けて畳みを綺麗にしたとは申せ、以外と几帳面で綺麗好きな拙僧のこと、もう一度、床の間から四畳半の畳までゴシゴキ拭いてこれでよし、っとばかりに例の七号二段餅をザックから取り出し、中国は明時代の呉州赤絵鳳凰絵の八寸鉢を台にして床中心に。

床軸は渡辺 清絵師描く「大和乃国誕生図」 天から剣が・・そしてわが大和国が誕生していく 表具は文人表具で紙表装であるがその表具全体に朱色の雲を薄く描いているところに彼の力量と想いを感ずる 活けた蝋梅が絶妙にカーブ、わずかに軸にかかっているものの邪魔にならずむしろ景となってると思うのだが・・・ 
続いて軸の出番、て、ここ二年連続で飾っている江戸幕末の絵師である渡辺 清の「天乃渟鉾図」だ。これは正月にはもってこいの作品だし、だいいち絵が実にサッパリして、気持ちがいい。だいたいが正月のゴテゴテはおせち料理で十分ってことだ。
でと、ここの雲襄庵は四畳半本勝手ということで毎年、花を生けているので取りいだしたるは古銅立鼓花入。時代は桃山時代ってところかな、これに蝋梅と御亀笹を。芸がないといえばそれまでだが碧雲山房山内にある材料、ということにこだわってる拙僧としては、この時期はなかなか難しいのだ。しかしこの碧雲山房は昔から椿が其処此処にあり、本数でいえば50本以上はあるのでないか。ただ、高さがあり蕾があるところまでは到底、人間の届くところではなく諦めている次第。4、5年前はそんなでもなかったのだが・・・と嘆いても致し仕方ない。
さーてと、これで母屋、道場、雲襄庵と、全部の飾り附けが終わったところで、今度は拙僧が大晦日と正月三日間を、この雲襄庵で一人過ごす準備に掛かり始めたものだ。
これがまた結構、愉しいのだ、まず水屋から炬燵を引っ張りだしてきてと、あとは出羽櫻の酒だのビールだの酒肴だの徳利、酒杯だのとゴソゴソとザックから次々と出して炬燵板に並べたものだ。
これでよし、あと数時間後には雲襄庵の横にある鐘楼で除夜の鐘を撞き、下界の微塵を完全に払わせてもらって向こう三日間、酒呑みながら清貧な日々を過ごすことができるってことで、なにもかも準備万端整った碧雲山房なのであった。

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